単純に,皆,忙しくなったんだと思います。さっきも話しましたが,時間の流れ方,使い方が「早くなった」んじゃないでしょうか。遊びの選択肢が増えて,一つのことに長く時間を割けなくなっていますから。また幸か不幸か,今は移動中にモバイル端末でオンラインゲームを遊べてしまう時代です。そんな時代に,自宅のテレビの前で長い時間をかけてパーティメンバーを探し,30分かけてモンスターの棲息場所まで移動し,いざ着いてみたら即全滅,そこからサルベージに1時間……なんて,無理な話でしょう。時代に合わせて,あるべき姿になっているんだと思いますよ。
(this post was reblogged from ca5)
(this post was reblogged from ca5)
電車内で 子供と会話もしないで突っ立ってるだけで、退屈した子供が動き回って悪さすると「じっとしてなさい!」って怒るだけの親と、窓から見える景色に「あれなに?何が見える?」って話しかけて子供が悪さする隙も与えない親が目の前に一組ずついる。こういう違いなんだよ。こういうことなんだよ。
(this post was reblogged from bo-rude)
夏野剛氏「批判や中傷については実名でしてほしい」。何言ってるの。「批判」は実名匿名問わず内容の正否で評価されるべきだし、「中傷」は実名匿名問わずするべきではない。
(this post was reblogged from otsune)
ゲームセンターはまだ不良の溜まり場でいささか物騒な場所だったが、ワンコインでキラキラした別世界にワープすることが出来た。飯野賢治は『ゼビウス』の1000万点プレイヤーだったという。ビデオゲームをうまくプレイし続けている時に感じるワールドイズマインな感覚は、他の娯楽では味合うことが出来ない特殊なものだ。それを自分の手で作ることが出来たら最高だ! 飯野賢治をはじめとする同時代のゲームクリエイターたちは人生を「ゲーム」に賭けた。未踏峰の登山のようなものだった。確実なルートはないが頂は見えていて、それぞれがそれぞれのやり方で攻めた。

ぼくは飯野賢治が特別な人間だと思ったことがない。ただ自分を生かしてくれたものへの畏怖心は突出していた。だから一生懸命「ゲーム」に対する感謝をカタチにしていた。それは大真面目にふざけ遊ぶという独特な誠意。ひとつの企てが終わるとゲラゲラと豪快に笑う。そのたびに体が大きくなっていく。ぼくがよく知っていたwarp時代の飯野賢治はそんな男だ。

ぼくは祭壇に設営されている棺のサイズに違和感を感じていた。ここにあの飯野賢治が収まるわけがない。窮屈だったら気の毒だ。 最後のお別れで棺の中の飯野賢治を見た。ちょうどよかった。やはり飯野賢治はぼくらと同じサイズの人間で、ただ、誰よりもがんばってがんばってがんばってがんばって自分の「ゲーム」をプレイした。そしてがんばってがんばってがんばって、ある時代を代表するプレイヤーになった。
(this post was reblogged from otsune)
「誰かの期待に沿って生きるということは、もともと無理な話だ。自分に従って生きたほうがいい――そして僕にとってはそれは、可能な限り自由であることだ。金で自由を買えないなら、そんな金は無駄だ」
(this post was reblogged from rosarosa-over100notes)
「復讐は何も生まないわ」というセリフが、作者も真剣に書いてるのかどうかよく聞くけど、忠臣蔵が何百年ウケてお金稼いでると思うんだ。
(this post was reblogged from otsune)

 東日本大震災のとき、私は職場である5階の研究室から逃げ遅れてしまいました。なぜかというと簡単で、エレベーターが止まってしまったからです。そのとき、逃げるということを可能にする“依存先”が、自分には少なかったことを知りました。エレベーターが止まっても、他の人は階段やはしごで逃げられます。5階から逃げるという行為に対して三つも依存先があります。ところが私にはエレベーターしかなかった。

 これが障害の本質だと思うんです。つまり、“障害者”というのは、「依存先が限られてしまっている人たち」のこと。健常者は何にも頼らずに自立していて、障害者はいろいろなものに頼らないと生きていけない人だと勘違いされている。けれども真実は逆で、健常者はさまざまなものに依存できていて、障害者は限られたものにしか依存できていない。依存先を増やして、一つひとつへの依存度を浅くすると、何にも依存してないかのように錯覚できます。“健常者である”というのはまさにそういうことなのです。世の中のほとんどのものが健常者向けにデザインされていて、その便利さに依存していることを忘れているわけです。

 実は膨大なものに依存しているのに、「私は何にも依存していない」と感じられる状態こそが、“自立”といわれる状態なのだろうと思います。だから、自立を目指すなら、むしろ依存先を増やさないといけない。障害者の多くは親か施設しか頼るものがなく、依存先が集中している状態です。だから、障害者の自立生活運動は「依存先を親や施設以外に広げる運動」だと言い換えることができると思います。今にして思えば、私の一人暮らし体験は、親からの自立ではなくて、親以外に依存先を開拓するためでしたね。

(this post was reblogged from yaruo)
リストラされて個として往来に放り出されても、放り出された先が人という名の「森」だったら、ぼくらは森に助けられながら生きていける。人々で形成される社会が森だったらリストラされることなど何も怖くはない。そればかりか他人が自分に救いを与えてくれる存在だと思えば、誰もが「いざという時に手を差し伸べてくれる他人という森に好かれよう」と振る舞うはずです。森に依存して生きていると自覚する者は、率先して森を大切にしようと腹の底から思うはずです。葉っぱの村の人たちのようにです。
一度その自覚を経験すれば、ぼくらはこの社会のままで、すぐにでも幸福に生きていけることになるのではないだろうかと、この頃、とても思うのです。まだ上手に言葉にできてはいないですけどね。